生命現象の主役であるタンパク質を観る―
タンパク質と聞いて多くの人が思い浮かべるのは,肉や魚といった「栄養素としてのタンパク質」でしょうか? たしかに,タンパク質は炭水化物や脂質と同様に,わたしたち人間が生きていくうえで欠かすことができないものです。
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ヒトの体の5分の1はタンパク質 |
では,そもそもなぜ肉や魚の中にタンパク質が多く含まれているんだろう?
いえいえ,そもそも全ての生物がタンパク質をたくさん持っているのです。そして,「生きている」という現象そのものがタンパク質のはたらきによって支えられています。わたしたちの細胞の構造維持,筋肉のはたらき,代謝や解毒,病気に対抗する免疫システムなど,挙げはじめるときりがありませんが…その全てにタンパク質が関わっています。
日々 無数のタンパク質たちが様々な生体分子と出逢ったり,別れたり,反応し,影響し合うことで「いのち」という大きな流れができているのです。だから,生命を理解する上で,それぞれのタンパク質の機能をを一つ一つ紐解いていくことは非常に大切なことであり,さらに,疾患の原因解明や治療薬開発ではそれらの情報が鍵になってきます。
分子機能制御研究室では,生理現象の鍵となるタンパク質や疾患に関わるタンパク質の機能解明やその機能を応用した人工タンパク質の創成を目指しています。
■Keywords■
立体構造解析|相互作用解析|核磁気共鳴法(NMR)|等温滴定型熱測定(ITC)|フォールディング|酵素|進化|創薬|睡眠|プロスタグランジン|リポカリン|システイン|セレノシステイン
睡眠への階,脳内の“なんでも屋”?
睡眠物質のトータルコーディネイター,多才な不思議タンパク質の秘密に迫る!
睡眠不足がもたらす経済損失をご存じでしょうか?
その額,年間でおよそ3.5兆円! また,寝不足によって学習効率や作業効率が著しく低下することを実感したことがない人はいないと思います。
人生の3分の1を費やす生理現象“睡眠”―いざなう者は,脳内に存在するちょっと不思議なタンパク質。睡眠物質を“作って”,“運んで”,壊れたら“回収する”,そんな多才なある酵素の機能解明を目指しています。
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睡眠は高等生物の生命維持になくてはならない重要な生理現象の一つである。近年の快眠グッズや睡眠改善薬などの需要の高まりにも現れているが,日本では約5人に1人が睡眠に問題を抱えている。即ち,睡眠に関する問題は,高度社会の最大の問題の一つであり,睡眠障害治療に繋がる睡眠メカニズムの解明は,人々の健康のために欠くことはできない。
睡眠と覚醒を調節する機構は幾重にも重なっており,様々な睡眠調節物質が存在する。ヒスタミン,オレキシン,メラトニン,アデノシン―挙げ始めるとキリがないが,それらの睡眠調節物質の産生や動きを理解できれば,睡眠を制御することも可能なのである。例えば,みなさんが眠い時に飲むコーヒーやレッドブルに多く含まれる“カフェイン”は,睡眠誘発物質であるアデノシンの類似化合物で,アデノシンが受容体に結合するのを阻害することで眠気を防ぐ。我々の研究室では,アデノシン系睡眠調節経路のさらに上流に位置するプロスタグランジンD₂(PGD₂)を合成するリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素の研究を長年行ってきた。
リポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(Lipocalin-type Prostaglandin D synthase: L-PGDS)は,睡眠物質(PGD₂)を合成する酵素であり,睡眠中枢を活性化することで哺乳類の睡眠導入や概日サイクル(体内時計)調節に関与している。現存する睡眠薬の殆どはGABA受容体をターゲットとするもの(睡眠中枢抑制系の抑制)だが,L-PGDSはそれとは異なる睡眠調節系に位置している。従って,L-PGDSをターゲットとした創薬は新規作用機序を持つ睡眠調節薬の開発につながる。さらに,従来の睡眠薬のような睡眠導入効果だけでなく,近年問題になっている体内時計混乱の治療につながる可能性もあり,L-PGDSの睡眠調節系の解明は根本的な睡眠障害治療の鍵を握っている。
これまでの我々の研究で,L-PGDSは,PGD₂の“合成”および“輸送”という,睡眠誘発物質の包括的な管理を担う他に類を見ない輸送体型酵素であることを見出した。ここから,さらにNMRやX線結晶構造解析による構造情報の取得と等温滴定型熱測定による相互作用の詳細な熱反応を追うことで従来のモデルにない新しい概念(2つの結合サイト・生成物放出)を加えた新規酵素反応モデルを提唱した。
進化を辿る
その酵素が酵素になる前,それは何だったのか?
タンパク質は悠久の年月を掛けてその機能を確立していきます。それは種の進化と共に―。
哺乳類の睡眠物質合成酵素の進化を遡ると,あるとき突然,酵素としての機能を獲得していることがわかりました。酵素機能を獲得する前,そのタンパク質は,睡眠物質を合成することはできません。しかし,存在するからには何か役割を担っているはずです。魚類に存在する酵素ではない“酵素の祖先”タンパク質の正体を調べています。
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哺乳類の睡眠誘発物質の合成と輸送を担うタンパク質として,リポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(L-PGDS)が存在している。L-PGDSは,アミノ酸配列の相同性検索から,リポカリンファミリーと呼ばれる疎水性低分子輸送タンパク質群に属しており,ビタミンAなどの疎水性低分子の輸送体としての機能も併せ持っている。このL-PGDSは哺乳類よりも低位の生物種,鳥類・両生類・魚類においても類縁タンパク質が存在している。それぞれの動物種間での酵素活性中心のアミノ酸配列を比較すると,哺乳類から両生類までは酵素活性中心があるが,魚類では無いことがわかった。即ち,魚類のL-PGDS類縁体は酵素ではなく他の働きをしていることが予想される。そこで,我々は,魚類のL-PGDS類縁体の機能を明らかにし,その酵素が酵素たる前に何をしていたのか,そして,今,まさに魚の中で何のために存在するのかを探ることにした。
我々の研究室では,既に哺乳類のL-PGDSの機能解析を長年行ってきており,その多彩な低分子認識能力を明らかにしてきた。その知見を基に研究を進め,既に,魚類L-PGDS類縁体がいくつかの生理活性低分子化合物の輸送体として働いている可能性を見出している。本研究では,メダカ由来L-PGDS類縁体を用いて,(1)
等温滴定型熱測定や構造解析によってその機能を原子レベルで明らかにし,(2) 実際にメダカに存在するL-PGDS類縁体の発現量や機能を変化させたとき,どのような生理現象が起こるかの調査を進めていく。
難病指定の希少疾患に特効薬を
デュシェンヌ型筋ジストロフィーの筋壊死の鍵を握るタンパク質の機能解析
医療が発達した現代でも,未だに治療法が確立されていない疾患がたくさん存在します。
その一つである“デュシェンヌ型筋ジストロフィー”は,徐々に筋肉が壊れることで体の自由が利かなくなる難病です。米国,欧州,日本で数万人の患者がいるとされ,出生男児約3,500人につき1人が発症し,その患者の多くが20代で亡くなられます。近年では,病気の進行を遅らせる薬は開発されていますが,完治まで至る治療法は確立されていません。本研究室ではこの病気に対する特効薬を作るための重要な知見を得ようとしています。
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デュシェンヌ型筋ジストロフィー(Duchenne muscular dystrophy: DMD)は,X染色体上のジストロフィンの遺伝子の変異によって起こる(男性にしか発生しないのはその為)。この病気での筋肉の崩壊は,筋細胞膜を補強するジストロフィンの欠失による筋細胞の壊死とそれに伴う二次的な炎症反応によって拡大する。近年,DMD患者の壊死筋周辺で,造血器型プロスタグランジンD合成酵素というタンパク質が誘起されており,その酵素が産生するプロスタグランジンD₂が炎症反応を引き起こしていることが明らかになった。このことは,即ち,この酵素の活性を止める阻害剤がDMDの筋壊死を防ぐ新しい薬になる可能性を示している。
造血器型プロスタグランジンD合成酵素(Hematopoietic-type Prostaglandin D synthase: H-PGDS)は,末梢組織中の肥満細胞やTh2リンパ球で発現しているタンパク質である。この酵素は,シクロオキシゲナーゼ(COX)からプロスタグランジンH₂(PGH₂)を受け取り異性化反応によってプロスタグランジンD₂(PGD₂)を産生する。また,この酵素反応の際に還元型グルタチオン(GSH)を補酵素として絶対的に要求するのが特徴である。
H-PGDSの阻害剤を設計する上で,(1) どうやって基質であるPGH₂をCOXから受け取り,(2) どのような反応機構で生成物であるPGD₂を合成するのか―その酵素反応メカニズムを詳細に明らかにする必要がある。
我々の研究室では,(1)に関して,ある膜タンパク質がCOXとH-PGDSの橋渡しをしている可能性を見出しており,その詳細な相互作用解析によって基質の受け渡しメカニズムの解明を行っている。さらに,(2)に関して,H-PGDSと補酵素GSHと基質PGH₂がどのように結合するのか,X線結晶構造解析で具体的に“見て”,さらに,相互作用解析によって親和性を“数値化”することにより,反応メカニズムという答えを導いていく。
タンパク質の構造形成の真理
アンフィンゼンのドグマに隠された謎
親から子へ,受け継がれる遺伝子。その遺伝子にはタンパク質の設計図がコードされています。
そのことからも想像できるように,タンパク質は生命現象の担い手として最も重要な分子です。生体内には,数十万種類のタンパク質が存在すると考えられており,タンパク質を構成するアミノ酸の配列の違いによって様々な機能を持っています。また,それらのタンパク質が機能を発現するためには立体構造を形成することが重要です。本研究では,タンパク質がどういう原理でその機能的な構造を形作るのかを調べています。
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タンパク質の立体構造形成(フォールディング)に関する研究は,「タンパク質の立体構造はそのアミノ酸配列により一義的に決定され,天然の立体構造が熱力学的に最も安定した構造である」というアンフィンゼン説に基づき,多くの成果が得られている。しかし,アミロイドβペプチドやプリオンタンパク質など,アンフィンゼン説だけでは説明できないタンパク質(非アンフィンゼン型)も発見され,タンパク質の立体構造の構築原理を一義的に結論付けるということは困難であることがわかってきた。
非アンフィンゼン型の立体構造に属するほとんどの蛋白質は,速度論的に制御された立体構造形成を行っている。これは,構造形成初期において,比較的速く形成された寿命の長い立体構造を持つ反応中間体が存在し,それが最安定構造に移るための活性化エネルギーを超えることができず,準安定状態に留まることによるものである。プリオン蛋白質は,この例であり,正常型が反応初期のα-helixに富む準安定構造(寿命の長い中間体),異常型が最安定構造であり,異常プリオンによる触媒効果で,正常型は容易に異常型に移行する。即ち,非アンフィンゼン型とは,固有のアミノ酸配列で熱力学的に天然(通常の条件で存在するタンパク質の形)と全く別の立体構造が最安定構造になる場合である。この他の非アンフィンゼン型の例として腸管水分調節因子ウログアニリンがある。
ウログアニリンは,それ自身では天然の立体構造(生理活性構造),即ち,正しいジスルフィド結合様式をほとんど取りえず,主に非天然型のジスルフィド結合様式を持つ異性体になる。ウログアニリンでは,その前駆体蛋白質中に存在するプロ領域が,ウログアニリンに正しく立体構造を形成させる分子内シャペロンとして機能する。本研究では,プロウログアニリンの最終構造と中間体の構造を核磁気共鳴法(NMR)を用いて明らかにすることで,その分子内シャペロン機能とそれが関与するタンパク質立体構造形成機構の解明を目指す。
生命の最高傑作ナノマシン―“タンパク質”の改造
リポカリン骨格を用いた新規機能タンパク質の創成
生命現象の根幹を担うナノサイズの装置―タンパク質。その機能は洗練されており,機械仕事の効率をはるかに凌駕します。遺伝子工学の発展により,人類は望み通りのアミノ酸配列を持ったタンパク質の合成が可能になりました。しかし,未だに望み通りの機能を持つタンパク質を自由自在に創成するに至ていません。そこで,わたしたちは,有用な機能を持つタンパク質を利用し,さらに改造することで活性の改変や新たな活性を創生することを目指しています。
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生体内での化学反応は,無数の酵素によって制御されている。それら酵素の中には,工業的にも有用であるものが数多く存在する。しかし,それらを応用するためには,様々な用途に合わせた条件で酵素を働かせねばならず,本来,特定条件を必要とする酵素たちを人工的に改造する必要が出てくる。
酵素の活性に主に影響を与えるものとして,一つは“基質の認識”,もう一つが“化学的な反応活性”が挙げられる。基質の認識に関しては,基質の結合に関わるアミノ酸を遺伝子工学的に変異することで比較的容易に達成できる。どのように変異させれば基質親和性(Km)をどのように変えられるかも,シミュレーションなどである程度予測可能になってきている。一方で,活性中心の反応活性を改変することに関しては,活性中心の活性化のメカニズムは様々であり,また,反応メカニズムの詳細がわかっていないことも多く,これといった方法論が確立されていない。
本研究では,まず活性中心にシステイン(Cys: Cystein)を持つ酵素の活性改変手段の開発に着手している。Cysを活性中心に持つ酵素は,そのチオール基(SH)の状態で活性が制御されているため,活性中心のCysのpKa
(時に異常pKaになっている)が最適pHになっていることが多い。即ち,そのpKaを制御することができれば,酵素の最適pHなどの改変が可能になると予想している。その手段として,近年21番目の天然アミノ酸として知られているセレノシステイン(SeCys:
Selenocystein)の機能を利用することを思いついた。
セレノシステイン(SeCys)は,システイン(Cys)に類似した化学構造を有しており,Cysの硫黄原子(S)がセレン(Se)に置換された構造になっている。しかし,その側鎖の化学的性質がCysと大きく異なっているのが特徴である。Cysの側鎖のチオール基(SH基)のpKaが8.3なのに対し,SeCysの側鎖(SeH基)のpKaは5.2と低く,即ち,Cys-SHに対してSeCys-SeHは100倍以上プロトン解離しやすく,側鎖がアニオン化(負電荷を帯びる)しやすい。このSeCysをCysを活性中心に持つ酵素に対して導入すれば,最適pHを酸性側にすることや,中性条件での反応性を飛躍的に向上させることもできるかもしれない。現在,モデル酵素としてリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素を用いて,酵素改変の可能性を探っている。
生命の源―“水”を考慮した出逢いの方程式
生体分子の出逢いの場,いつもそこに在り,だれも気に留めない…
すべての物理現象の行方を決めている式―ギブス自由エネルギー“ΔG=ΔH-TΔS ”。生命現象における様々な生体分子の相互作用も例外なくこの束縛から逃れることができません。生体分子と薬剤などの相互作用におけるエネルギー変化には,二者の直接的な相互作用によるエネルギー変化だけでなく,二者を取り囲む“溶媒”の存在が想像以上に大きく影響します。本研究では,生体分子の相互作用における水の影響に着目し,その普遍の原理を調べています。
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等温滴定型熱量測定(isothermal titration calorimetry; ITC)によって得られる生体分子間の相互作用の熱力学的パラメータ情報は様々な現象のエネルギー変化を包括しており,創薬の分野で生理的条件での受容体と薬剤の相互作用を見積もるために有用である。しかし,多成分からなる熱力学的パラメータ(ΔHobs, -TΔSobs)を結合の細部の現象の解釈に用いるのは困難である。本研究では,(i) 熱力学的パラメータが生体分子の結合現象の何に相関するかを探索し,また,(ii)
熱力学的パラメータから水和などの詳細な情報などを抽出することを目的とする。即ち,生体分子と薬剤の結合において,これまで用いられてきた親和性という指標だけでなく,熱力学的パラメータという新たな特徴付けを与え,さらに,計算科学によるシミュレーションなどに“実測値”という強力な素材をあたえるものである。